小説「13人を斬った元会津藩、抜刀隊士の謎」(1)
戊辰の復讐? 会津人斬り警視の謎
「田原坂、警視隊に会津藩士の生き残りがいて戊辰の復讐を叫びながら残兵十三人を斬った。少々小説のような話だが決して虚説にあらず、この会津人は少々手負であった」
これは、明治十年三月二十五日の新聞に掲載された、犬養木堂の見聞による記事である。巷では、会津藩士とは誰だ、これだけの剣客で警視隊なら、本当は会津でなく、会津戦争にも参加した元新撰組の斉藤一ではないか?」「いや、田村吾郎陸軍少尉では? 会津士族だぞ」などと散々憶測が飛び交い、たちまち人気となった。
三月二十一日、夕刻。
田原坂の合戦から一日が過ぎた、雨でぬかるんだ坂道の途中だった。取材のため、犬養木堂は官軍の居留する木葉から入り、細長い山道を歩いていた。
木堂、後に「犬養毅」の名で知られることになるこの男は、当時は大学生。の、かたわら、郵便報知新聞の記者見習いをしている。現代で言う「戦場ジャーナリスト」である。
主筆の栗本鋤雲に言われ、西南戦争の現地取材の為に、他の記者団より一足先に単身、熊本に入っていた。
と、ひん曲がった刀を振り上げ、ボロボロの男がいきなり、大声で叫びながら斬り掛かってきた。
「戊辰のオ、ガ、ガタキイッ!」
———は? 戊辰戦争の仇?
会津の者か?と、尋ねるまでもない。
よろめき震えながらも、男は再び大上段に構える。血まみれ泥まみれの官軍兵で、警視隊の軍服を着ている。
振り下ろされた刃をひらりとかわし、木堂は叫んで制止した。
「ま、待て!待てって!俺は敵じゃねえ!薩摩じゃねえっ!」
泥のこびりついたその真っ黒い顔の中で一瞬、白目が動き、男は動きを止めた。
「俺はこの通り、筆以外持たん! な? ただの新聞記者だ!」
その木堂の眼前、この戊辰戦争の仇を叫ぶ警視隊の隊士は、今再び刀を構える力をも落としたと見え、がっくりと両膝をついて倒れた。
「お、おい?おい大丈夫か?」
ピクピク小刻みに震えながら地に伏せ、濁った声で呻いている。手負いだ。それもかなり。
もう少しで日も暮れる。木堂は肩を貸した。
今日がいつなのか、その意識すらあるのかどうか。
置いて行かれたか。官軍も薩摩軍も、もう山鹿*1の方に向かったらしい。木堂は声をかけた。
「おい傷、痛むか? すぐそこまでだ、我慢しろよ」
坂途中に、奇跡的に焼け残った民家があった。合戦の後は何もない焼け野原になっていたが、一件だけポツンと残ってっていた。
奥の一部は砲撃で壊れ、家屋は埃まみれだったが、また雨になるかもしれない。
ぬかるんだ夜道を、重傷人を背負って歩くわけにもいかない。
坂をしばらく下りた先に官軍が拠点としていた「木葉」と呼ばれる地があるが、そこが全く安全という保証もない。
今夜はここに泊めてもらうことにした。
木堂は会津者を居間に横たえ、台所を確かめた。水甕に、水は充分にあった。
お湯を沸かし、白湯を作って会津者に飲ませた。
「夜が明けたら、何とか野戦病院まで送り届けてやるから、それまで持ち堪えろ」
会津者は小さく頷いた。
白湯を口にすると、隊士は少し落ち着いたと見えた。
様子では脇腹の弾傷の他に足の骨もやられている。銃弾は急所を外れて貫通しているが、襲いかかるだけのあの力は、精神力だけのものであっただろう。
「さっき、戊辰の仇だと言ったな?」
木堂は訊いた。隊士は何も言わぬ。
「ああー、いい、無理ならいいよ。喋らなくても」
それから、眠ったか眠らないか、しばらくただ、二人とも黙ったまま過ぎた。
やがて会津者は、か細い声で、「聞いてくれっがし…」と言った。
以下は、会津弁を犬養の頭の中で翻訳した話になる。
「私の生まれは会津、家は与力、武士を羽織紐の色で分けた階級のある会津藩で、紐色は茶色。高くないが低くもない身分だった。
城下にそこそこの広さの邸があり、そこで育った。
幼い頃はわりと裕福な方で、別にそれについて何かを考えたことはなかった。
おそらくは他の多くの士族らと同じように、その家に生まれてそれがごく当たり前という日々を過ごし、小さないさかいも含め平和で、この先もずっとそんな日々が続くのだろうと思っていた。
その邸に、「お里」という端女が雑用をしていた。それがまた「めごくて、めごくて」以外の言葉を知らない。
とにかく可愛い。低い鼻も、丸いキョロキョロする目も、もしかしたら一般的にはさほど「美人」ではなかったのかもしれないが、私には特別なものに見えた。小柄で子犬のようだった。
そのお里、生まれつき近目らしく、うんと近づかないと物が見えなかった。
そのせいなのか、常に要らぬ失敗ばかりしては、叱られて泣く。
その様子をずっと物陰から眺めては「いつか自分が全部、絶対助けてやるぞ」と思っていた。
「いつか」といえど、嫁はおそらく、いずれどこぞの武家の女子との縁談を親が決めるのだろうが。
いやそれなら、こっそり妾にしよう。よし決めた。しかし、妾なんぞこんな自分が、果たして責任持てるのか? 子が出来たらどうする?
「子? どうする?どうする?」
「出世するっぺ!出世しかないっぺ!」
一人、そんな妄想やら気恥ずかしさやらを抱え、熱病のようにお里の名前を呼んでいた。
布団の上で手足をバタバタさせ、私はあの娘のために、きっといつか偉くなってやる、偉くならなければならぬのだとそう誓った。
それから、そんなに経たぬうち、世の中はどんどんおかしくなって行った。
何十年経ったわけではない。ほんの三年ほどだ。
会津の殿様、松平容保様が京都守護職に任命され、治安の悪い二条城周辺の警備を任されることになった。
会津からは千人の部隊が京に赴任することになった。
京で悪い者どもを片っ端から捕縛するなりして名を上げれば出世する。旗本はまず間違いないだろう、などと。そんな夢のような自分の姿ばかり追っていた。
そしていよいよ京に上ることになった前日。私はお里を呼び出した。
告げたいことが山ほどあった。