田原坂46

西南戦争を舞台にした小説。官軍側は犬養木堂、福地源一郎のレポート形式。

小説「13人を斬った元会津藩、抜刀隊士の謎」(3)

「幕府を守る為に戦ってもどうせ負ける。この国は薩長が乗っ取った」

 けれど一方でこうも言う

「どうせ負けるなどと言うのは恥ずかしい。それでも命をかけてこそ武士ではないか」

  どう生きたらいいのか。

 どう生きれば正しいのか。

 志とは何であり、武士とは何なのか。

 それはもう、何も無い会津で本の中で学んだこととは、あまりに違っていて、取り巻く現世はといえば、ただ血を流し、誰かがどこかで名も知られぬまま死ぬ。それが怖くて必死に逃れようとする姿だけが、私には「生きる」ことのように思えてならなかった。

 会津へ、戻らねばならない。

 その頃か。小料理屋で男らが

新撰組近藤勇が処刑されたらしい」

「ああ。気の毒だが、旗本にまでなっておいて何の意味もないな」と噂するのを聞いた。

 すると、女将が一人で飲んでいた私に言った。

「あんたもうよしなよ、出世だの上様だのは。ご時世眺めたら、この私にだってわかるよ。もう侍だのは、なくなっちまうんだよ。上の方のツラをとっかえただけだろうよ。出世ったってさ、本当は誰も出世なんかしやしないのサ」

 最初、京に発った時の意気揚々とした自分と、比べものにならない惨めな、臆病な「ただの何某」かがそこにいた。それでいい。一人身を守って、ただ生き延びるのだ。皆と同じだ。その日の酒をうまいと思えたら、それ以上は無いでは無いか。お里か、きっと私のことなど忘れたであろう、懐かしい、ただの思い出だ…。

 

 だが、その年の夏になってのことだ。容保様を助けてほしいと、東北の各藩は願い出したがかなわなかった。会津は攻め入られる。城も、城下も、容保様も全て、滅ぼされる!

 それは、今までぼんやりと過ごしていた自分に投げられた最後の問いだった。   

「このまま動かぬのか」と。

 会津が落ちる。私は脳天を殴られたように「会津が落ちる」と繰り返した。

 

 世が、どちらに動こうが揺るがぬものが、己だけが知り得るものがあったのではないか?

 問いは私を動かした。それから私は考えることを捨てた。一切の雑念を捨てた。急ぎ、会津へ駆け戻った。道中、ひたすらに願った。忘れたはずの、あの子犬のようなお里が無事でいてくれることを。家の者、仲間、すっかり背を向けた懐かしい人たちを。 

 だがもう遅かった。

 私が着いた時城下は火の海に巻かれ、鶴ヶ城は砲撃で落ちた。邸も焼けた。

 焼け出され、残った人に尋ね歩いた。お里さんは無事かと。

 城や武家屋敷の女らには覚悟を決めて自刃した者らが大勢いたとも聞いたが、お里に関しては、なんとも哀れで、そしてなんともお里らしい死に方であった、あれは何か大事な物を取りに行こうとしたがもともと目がよく見えないゆえ、手間取っているうちに煙に巻かれたらしいと

 そんな話を聞かされた。

 結局、何一つ守れず、私は私を守って逃げていただけだ。そう責めても、全ては戻らなかった。

  

 それから再び、江戸に戻って、世は明治になった。

 江戸が東京に変わると、藩邸はなくなり、武士も無くなった。

 代わりに東京を警備する者が必要だとして、士族中心に「邏卒(らそつ)」の募集があったので、私はそれに応募した。

 不審者を見つけては検挙する。ちょっとでも怪しいなら逮捕する。世には忌み嫌われるその存在は、やがて「巡査」と呼び名を変えられた。

 十年はあっと言う間に過ぎた。

 それから、薩摩士族が反乱を起こした。

 かつて会津と組み、しかし会津を賊軍として攻めた薩摩が、今度は賊軍と言われ攻められる。

 挙兵した薩摩を討つために、川路大警視が新しく警視隊を結成するという。私はそこに配属された。

 

 

 

「お前は薩摩を恨んでるのか?」

木堂は尋ねたが、すぐ「そりゃあそうか、故郷、会津を滅ぼしたんだからな」と付け足した。

「うんにゃ」

少し間を置いて、会津の侍は答えた。

「…薩摩を、にぐまねと…にぐまねと」

 それ以上には出てこない。多くの言葉が生まれそうで生まれず、この者の中に重く沈んで行っているのだろう。

 薩摩を憎まないとやっておれないのだ。

 何者でもない一人の侍として。薩摩のせいにすれば、そして戦えば。

 自分以外の何かを守る士にはなれる、そう思ったかもしれない。

 

「おらこんなだ、臆病で、クニ裏切って、出世できねで、役たたずで死んでぐ」

「おいおい」

 木堂は呆れたように言った。

「お前、すごいよ。俺が覚えててやるよ。どこの旗本よりすごいよ。戦ったじゃないか、いつだってお前、戦ってたじゃないか。故郷だって一度も忘れちゃいないじゃないか。いいか、お前は死なない。そんなもんで死ぬかよ、だろう?」

 酒でもあればな、と木堂は思いながら、記事を書き付けている手帳を取り出して聞いた。

「さて、田原坂で、何人斬った?」

「さあ、十、三人かなんにんか。でも誰も死なねっぺよ」

  会津者はかすかに笑った。

 

 夜が明けると木堂は病院を開いている、坂の下の徳成寺までこの会津者を送り届けた。

会津に帰る」

 ボロボロの隊士は、木堂に礼を言うと、最後に小さくそう言った。

 

 事実とは、皆が望む芝居のようにはいかぬ。だが、その者の歩いた道程は、どんな英雄譚よりも尊いにちがいない。

 木堂はこれを植木にある郵便局から、本社あてに書き送った。

 

 

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「木堂さん、結局、誰なんですか?この会津人」

 記者仲間の飛高がそう聞くと、木堂は淡々とした口調で言った。

「それがな〜。名前聞くの忘れてた。でもひとっつも!嘘は書いてないぜ?本当だって」

「十三人も殺したって…それって、結構やぶさかでない人斬りじゃないです? 怖くなかったんですか?!」

「俺は、怖かねえよ」

木堂はニッと笑った。

 

(斬った、とはハイ、書きましたとも!でも、「斬り殺した」とは書いてない!

…あの隊士、いや会津の侍、生きてるさ。そして必ず会津に帰っただろうよ)

 

人々は謎の英雄譚を噂しあった。

木堂は、全てを記してはいない。

 

 終